モータースポーツの公平性
今まで、スポーツということで言うと、「モータースポーツほど不公平なものはない」と思っていました。
だって速い車=上手い人ではなくて、速い車=お金持っている人と言えなくもないと感じるからです。
人間のスキル差を完璧に道具(マシン)の優劣が上回ってしまっています。
ちゃんとしたレースであれば、細かくルールとクラスが決められ、マシンの優劣差は減ってきますが、それでも優劣は存在し、一般的には「お金持っているチーム(会社)が強い」傾向にあります。
しかし最近リオオリンピックを見ていて感じたことがあります。
(今までのオリンピックで一番見ていたと思います。)
それは、ある意味「モータースポーツは公平」なんじゃないだろうかということです。
それは主に「体格差」と「身体能力」です。
日本人が外国人にこてんぱんに負けてしまう場合、体格差がすごくあって「これじゃあ勝てないよ」
と感じることがあります。
例えば陸上のボルト選手など、どうがんばっても日本人では勝てないと体格差で感じさせてしまいます。
努力もあるかもしれないけれど、「生まれ持った恵まれた体格」ってとても大きいと思うのです。
いくらがんばっても「その体格では無理」というのが少なからず存在します。
これを車のレースに置き換えると、「あの人は300馬力だけど、俺のは200馬力」に近いと思うのです。
モータースポーツは「体格差」をなくし、誰でも努力すれば純粋に結果が出せる可能性があります。
またそれは年齢にもあてはまります。
40歳の人がいちからサッカーを始め、必死に練習し努力したとしても、高校生の選手に勝つのはかなり難しいと思いますが、モータースポーツならサッカーほど難しいことではありません。
このように見方を変えると、モータースポーツはある意味とっても公平。
道具差は大きいけれど、人間の体格差や身体能力の差が少なく、筋肉がないガリガリでも、走るのがメチャクチャ遅い太った人でも、小柄な人でも、若くなくても、あまり関係ありません。
そのため男女の区別もなく混走です。
遺伝とかの関係もなく、誰でもスタートラインは同じです。
こんなスポーツはないとオリンピックを見て感じたのでした。
だって速い車=上手い人ではなくて、速い車=お金持っている人と言えなくもないと感じるからです。
人間のスキル差を完璧に道具(マシン)の優劣が上回ってしまっています。
ちゃんとしたレースであれば、細かくルールとクラスが決められ、マシンの優劣差は減ってきますが、それでも優劣は存在し、一般的には「お金持っているチーム(会社)が強い」傾向にあります。
しかし最近リオオリンピックを見ていて感じたことがあります。
(今までのオリンピックで一番見ていたと思います。)
それは、ある意味「モータースポーツは公平」なんじゃないだろうかということです。
それは主に「体格差」と「身体能力」です。
日本人が外国人にこてんぱんに負けてしまう場合、体格差がすごくあって「これじゃあ勝てないよ」
と感じることがあります。
例えば陸上のボルト選手など、どうがんばっても日本人では勝てないと体格差で感じさせてしまいます。
努力もあるかもしれないけれど、「生まれ持った恵まれた体格」ってとても大きいと思うのです。
いくらがんばっても「その体格では無理」というのが少なからず存在します。
これを車のレースに置き換えると、「あの人は300馬力だけど、俺のは200馬力」に近いと思うのです。
モータースポーツは「体格差」をなくし、誰でも努力すれば純粋に結果が出せる可能性があります。
またそれは年齢にもあてはまります。
40歳の人がいちからサッカーを始め、必死に練習し努力したとしても、高校生の選手に勝つのはかなり難しいと思いますが、モータースポーツならサッカーほど難しいことではありません。
このように見方を変えると、モータースポーツはある意味とっても公平。
道具差は大きいけれど、人間の体格差や身体能力の差が少なく、筋肉がないガリガリでも、走るのがメチャクチャ遅い太った人でも、小柄な人でも、若くなくても、あまり関係ありません。
そのため男女の区別もなく混走です。
遺伝とかの関係もなく、誰でもスタートラインは同じです。
こんなスポーツはないとオリンピックを見て感じたのでした。
by mokumokutibita
| 2016-08-28 21:46
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